ゲーム翻訳マンの稽古日誌

変身中はオラ。ふだんは私です。

ゲーム翻訳マン---たまには読書ノート

オッス!オラ、ゲーム翻訳マンだ。

 

このあいだ読み返した『翻訳とは何か――職業としての翻訳』だけど、どんな内容の本なのか興味ある人もいっかもしんねーし、オラもゲーム翻訳者として読み返すのははじめてでこれまでと違う箇所がやけにササったりしたから、いくつか抜き書きしてコメントする。

 

①107ページ

センテンスやパラグラフは翻訳不可能である。前後のないセンテンスやパラグラフだけでは、意味を想像することはできても、理解することは不可能だからだ。翻訳というからには原文の全体を読み込んでその全体をひとつの世界として理解しなければならない。これが翻訳の前提である。全体から部分を切り離したとき、たとえばひとつのセンテンスやパラグラフを切り離したとき、英文和訳は可能でも翻訳は不可能になる。

 

ゲーム翻訳は基本的に「部分」ばっかだ。翻訳者に「全体」が見えることはほとんどない。だから、めっちゃ「想像」しまくる。これってどこのどういう場面で誰がどんな気持ちで言ってんだろうとか、これってコマンドか?それともなんか達成した後に出る文字か?とか。「全体」を見るには、もとのゲームがリリースされてるなら、実際に自分でプレイしてみるしかねぇのかも。最低でも、自分が訳してる場面はプレイするなり、実況動画を見るなりしてみたい。ゲームがリリースされてねぇ場合はほんと困る。実際、まともな翻訳は不可能かも。どうしても想像や勘に頼ることになりがち。

 

②125-126、131-132ページ

外国語を読む力には三つの段階があり、それぞれに必要な技術が違っている。第一が外国語を学ぶために読む段階だ。英文解釈の段階とも呼べる。第二は外国語を道具として使いこなす段階である。外国語を外国語とは意識せず、内容を読み取れるようになれば、この段階に達しているといえる。第三が、以上二つの力を一段と高い水準で組み合わせた段階であり、翻訳のために読む段階といえる。翻訳という観点からみれば、外国語を読む技術とは、第一段階と第二段階を経過したうえで第三段階に必要になる技術を意味する・・・・・・第二段階の技術を身につけている証拠として、外国語の本や記事や書類を読むだけなら辞書を引かなくてもいくらでも読めるようでなければならず、少なくとも百冊分の外国語の文章を読んでいなければならない。これが、翻訳に取り組む際の前提であり、学習をはじめる際の前提だともいえる・・・・・・だが、翻訳にあたっては、もう一度外国語を外国語として意識しなくてはならない。外国語と日本語の違いをあらゆる面で再意識化しなければ、翻訳はできない。

 

まあ、外国語でゲームをプレイしてもフツーに楽しめることが、ゲーム翻訳者の最低条件ってことになるのかな。まともにプレイできないうちはやっちゃダメ。あと、ゲームに関する外国語の記事なんかも、『ファミ通』とか読む感じで読めないと力不足ってことなんだろう。辞書だって英和とか中日だけじゃなくてネイティブの人が使ってるのを普段からフツーに使ってる感じじゃねーとやべぇかも。とくにゲーム翻訳だと、辞書にのってねぇ意味の言葉が多いから、Google百度でいろんな例文見つけて意味を推測することになる。外国語ですいすい検索・ネットサーフィンできねぇと仕事にならねぇ。

 

③135ページ

もうひとつ警戒すべき点として、まったく不案内の分野でもよく調べれば翻訳はできるという見方がある。この見方は正しくもあり、間違ってもいる・・・・・・専門分野の翻訳であればその分野の専門知識が翻訳には不可欠だが、たいていの場合、専門知識は「調べる」ことによって学べる・・・・・・だが、小説を翻訳し、つぎにコンピューターの技術書を翻訳し、つぎに一般読者向けの科学書を翻訳し、つぎに心理関係の本を翻訳し、つぎに芸術の歴史の本を翻訳するといったやり方をしていれば、職業としての翻訳は成り立たない。そのたびに基礎から学ばなければならなくなり、大量の調べ物が必要になる。効率が悪くなるし、締め切りに間に合わせようとするとどうしても調査が雑になり、翻訳も雑になる。

 

つぎからつぎに新しいゲームを翻訳してっと、こんな感じになる。とくに、コンペ(翻訳会社がゲーム会社から仕事をとるための翻訳テスト)ばっかやってるとすごく効率が悪い。ほんの数百文字の翻訳のために大量の調べ物をしてスゲー時間かけて必死になって訳して、終わったらはハイつぎのコンペ。とにかく割に合わない。ふだんの数倍の単価じゃなきゃ――あるいは、コンペ通ったらボーナスもらえるとかじゃなきゃ――引き受けねぇほうがいいかも。

 

④140ページ

翻訳の世界には、「辞書は引いても信じるな」という言葉がある。「たかが辞書、信じるは馬鹿、引かぬは大馬鹿」ともいう。

 

オラの感覚だと、他の分野の翻訳にくらべて、ゲーム翻訳では辞書を引くことが少ない。ってか、ほとんどない。だいたいネットで調べる。ネットの辞書で調べることもあるけど、実際にその語が使われてる文をいくつか見つけて意味の当たりをつけていくことが多い。まあ、ネット辞書とか百度百科とか検索結果の例文とかも疑ってかかることが大事だと思う。けどやっぱ調べねーわけにはいかねぇな。

 

⑤148-150ページ

楽譜を読む技術がいくらすぐれていても、歌という形で表現する技術がすぐれていなければ、歌手にはなれない。翻訳者の場合なら、外国語を読む技術、内容を理解する技術がいくらすぐれていても、読み、理解した内容を読者に伝える技術がすぐれていなければ、なんの意味もない。読み、理解するのは、読者に伝わる文章を書くためなのだ。翻訳者が売っているのは、外国語を読む技術ではない(まして「語学力」ではない)。内容を理解する技術でもない。売っているのは訳文だけである。文章の力がなくては、翻訳はできない・・・・・・翻訳とは執筆の一種であり、翻訳者は物書きである。翻訳に必要な文章力とは、物書きとして、筆一本で食べていけるだけの文章力なのだ。

 

楽譜の比喩はいいなぁ。歌手によって歌い方が違うように、翻訳者によって訳し方も違う。同じ原文から翻訳者の数だけ違う訳文ができる。なのに、ゲーム翻訳は基本的に分業、チーム翻訳。どうなっちまうんだろう。まあ、合わせる努力が必要なのは間違いない。でもやっぱ、読者に伝わる文章、売り物になる文章にするために、この本の著者も言ってるみてぇに、「原著者が日本語で書くとしたらこう書くだろう」って訳文を目指してぇなぁ。

 

じゃあ、またな。